課金、ギャンブル、知覚の扉
いかにも隠れてムッツリと天井してそうな──風貌と喋りかただけど、おれは今までソシャゲに縁がない。ましてガチャの課金なんて、生まれてこのかたしたことない。
個人の意見なんだけど、これからもしないほうが精神にも財布にも優しいと思っている。個人的に、あれはコンビニで玉を買い、直帰して、家でやる風の、オンラインパチスロだと思っている。
「すみません、換金所はどちらに?」
「私は存じ上げませんが、皆さん点々バラバラ散り散りに行かれてますね……」
カード購入者はコンビニからあらゆる方向へ飛び出す。その方角のベクトル和をとるとゼロになる。だから彼らはどこにでも行っているようで実はコンビニからいっさい動いていないのである。
課金は孤独なパチンコだ。換金所という片割れを失くした、さびしい釘のあつまりである。
ソ連は宇宙船に犬のライカを乗せて地球を周回させた。おれたちにも赤い血が流れているのだから、彼らと同じことをやっているのは当然のこと。ロクな倫理観も持たずに無理やり宇宙船に諭吉を乗せて祈ることは、ライカもギャンブルも課金も同じことだ。
しかしギャンブルは、運が良いと勝てる。勝者にのみ開かれた出口がギャンブルで待っているし、ソビエトロシアでは出口が勝者を待つ!運とデータの間に知覚の扉があって、エイと気合を入れて瞳孔を開くとそれが現れるという。小出しに人生を賭けている人にのみ、その扉はお情けで開く。
お情けボタン倍プッシュした友人はこの前パチンコで8万負けたらしい。羽をむしり取られながらも「まだ舞える」と奮い立たせたのだという。食材を腐らせながら「まだ食える」と言い張る人と、いったい何が違うというのか。
扉ってホントにあんのかな……?
一方、悲しいかな、課金にはそれが無い。天井はあるけれど出口はない。欲しいキャラの扉絵を開いても、そこには開かれているのは出口に見せかけた茨の道だ。地獄への道は70%のRと0.04%のUSRで舗装されているが、キャラのかわいさあまりにその実態は見えないのだ。恋は盲目とはよく言ったものである。