ゴリラになるブログ

人間に戻るまでがゴリラです

どこか自分に似ている人とめちゃくちゃ煙草を吸った話(上)

 私がNさんに惹かれたきっかけは彼のブログだった。記事を読むたび、画面に張り付くような冷たい心地を味わった。当時の私は、冬期にありがちな<ふさぎ込み>を持て余していた。その症状が後押ししたかもしれない──とにかく私は、彼の文章の虜になった。

 2019年。煙草のタールも5mgを過ぎ、その重さに便乗して持病の花粉症が激しくなってくる、そんなときに私はNさんと会う約束をした。ツイッター上で知ったのだけど、同じ県に住み、ふたりとも詩や文章を書いていて、おまけに両方とも、このご時世に喫煙者だった。だからこの際、一度オフで会ってみよう、そしてその日にはイチオシの本や音楽なんかを、駅からほど近い、煙草の吸える所で話そう──ということになった。私にとってはそれが初めてのオフ会だった。

 ブログには暗い過去も綴られていた。そんな彼の顔を、私は初めて見ることになるのだった。

 約束の前日。トートバッグに厳選した本を数冊入れた。NさんがSyrup16gのCDをオススメしてくれるというので、ノートPCも追加で詰めた。修学旅行前と同じくらい目がギンギンに冴えていた。

 今思えば、単に精神年齢が高校生のままで止まっていただけなのかもしれない。

 

*    *    *

 

 迎えた当日。

 果たして精神年齢は高校生のままだった。寝坊した。2㎞離れた最寄り駅まで50m8秒の鈍足で走ったにもかかわらず、1時間1本の鈍行に間に合ったのは、正直奇跡としか言いようがなかった。ただ喉元過ぎればなんと言うのか。遅刻を免れて安心したのか、車両が2駅目を過ぎる頃には、

(またオレ何かやっちゃいました?)

 そう言わんばかりの優雅な気持ちで足を組み、岩倉文也の処女作を読み始めていた。

 やっちゃいましたの意味がちょっと違うんだよな……

 客の少ない朝の列車はゆっくりと市の境を踏み越えていった。待ち合わせのA駅を含め、どの駅に停まっても、開いたドアから入り込む風は肌寒かった。3月。春は限りなく近いようで、実はまだその扉を開けきってはいなかった。ふと気付けば、人差し指と中指で作った隙間がちょうど、煙草の太さになっている。前日にコンビニの灰皿で吸った2, 3本で最後だったことを、このとき初めて思い出した。

 ところで、待ち合わせというのは意外と頑固なもので、いったん日時をコレと決めてしまった後では、あまり動かすことができない。遅れます、あるいは日を改めますとかならまだ分かるけど、こちらの状況も聞かずに
「早く着いちゃったんで集合○○分だけ早めていいすか?」
とかいう過去への巻き戻しだけはどうしても無理だ。

 だからこれは至極当然なんだけど、待ち合わせ時間を決めたのはこっちが先だし、こっち側に1時間1本とかいう冨樫ダイヤの方からカチ合わせてくるなんてまずあり得ねえんだわ……。

 要するに私はけっこう早めに着いてしまった。

 相手を急かすわけにもいかず、他にどうしようもないので、その空いた時間でとりあえず煙草を買った。駅前には必ず喫煙所があるものだとすれば、そこでならいくらでも時間を潰せると、そう確信してのことだった。新幹線の通るA駅は、県下でもかなり大きく洗練されていたので、よく探してみれば、駅前あたりにそういうスペースだってありそうなものだった。出身の市にある小さな駅でさえ、灰皿ひとつが設けられていたのだ。この駅にはそれ以上の設備があるはずだった。

 しかし悲しいかな、そういう駅ほどいち早く時代の流れを受ける。

 すでに喫煙スペースなんてありはしなかったのだ。駅そのものが洗練されていれば、その周囲もやはり洗練されていて、どんなに探しても灰皿ひとつありはしなかった。灰皿ひとつさえ。代わりに禁煙マークがB.E.P.のPVばりに貼られていた。私の頭の中も?マークで一杯だった。What's wrong with the world mama……?

 


The Black Eyed Peas - Where Is The Love? (Official Music Video)

 

 ポケットの中で不本意に指をあそばせる。すべての行為が私の中で完結して、決して他者へとはみ出すことは無いだろうこの指を。

 そうして駅を出たところにある柱の前で、私はNさんが来るのを待った。流れてくる人を、ああでもない、こうでもないと見極めながら、工場の検品作業員のように数分ほど待っていると、人混みの中にぽつねんとした、背が高い細身の男性を見つけた。私と目が合うと、男性は軽く、うなずくように会釈をした。Nさんというのはその人だった。

 Nさんは一見して何かが違っていた。一瞬の間、私は会釈を返すのも忘れて、Nさんから目をそらせなくなってしまった。

 コートにジーパン(記憶が定かでない)という普通の格好で遠くの方から歩いてきていて、第一印象は「今風の顔が良いバンドマン」というところだ。服装や歩き方、髪型も髪の色も、周囲と何も変わらない。それでも彼には、何とも言えない違和感があった。とにかく他人と何かが違うとしか思えなかったけれど、いったい何がどう違うというのだろう?

 強いて言うなら、それは彼の目つきだった。

 その両目が他の有象無象を蹴散らすように私を捉えているのに、一方で、彼の目を除いた他のすべての要素は、必死になって有象無象に同化しようとしている。そういうタイプは彼が初めてだった。それだけに、遠くから見ると奇妙な感じがした。姿はぼやけていても、まるで目だけがくっきりと見えるようだ。

 ただ、だんだんこちらに歩いてくると、なんのことはない、彼はいたって普通の、大人しそうな──顔の良い人だ。近づいた後でNさんはもう一度会釈した。

「ゴリラ(自分のツイッター上の名前)さんですか、初めまして!」

「どうもNさん、こちらこそ」

 私は私で、よりによってツイッター上のネームで呼ばれるのは、何かこそばゆい感じがした。
「あ、リアルでもあの役はちゃんと演じなきゃいけないのね、そういうことね」
というかなりの変化球に対して、溜飲を下げなければいけなかった。

 彼とLINEでやり取りするとき、私は本名のアカウントしか持っていなかったので、それで彼とやり取りしたけれど、彼のアカウントは本名ではなかった。彼が別個で本名のアカウントを持っていたかどうかは分からなかったが、どちらにせよ、私はNさんに個人情報をガッツリ明け渡してしまった。それで私の何かが弱くなった。これは考えすぎなのだけど、彼にツイッター上の名前で呼ばれることで、私の本名という弱みを握られているような気がした。

 しかしゴリラ呼びされているほうが慣れていたので、何も言わなかった。これはLINEの別垢を作らなかった私が悪い。悪いと思ったことはすべて血肉の経験となる。そう思った。

 とにかく早く煙草が吸いたかった。甘ったるいキャスターをアイスコーヒーで流しこみたかった。Nさんに案内されて、私たちは商店街の中にあるカフェへと歩いた。

(続く)